英語講師 佐々木 和彦
― 先生が板書をするうえで心がけていることは何ですか? 板書は見たときに、授業のポイントがはっきりとわかるエッセンスを凝縮したものであるべきだと思います。そのためには、視覚に訴えて具体的に理解しやすくすることが重要ですね。たとえば、英語の構文はブロックに分け、それぞれを記号に置き換えるようなイメージで色分けするなど、見やすい形にして提示することを心がけています。オーラルで考える場合には英語は頭の中の概念ですが、受験の問題は読んで解くというものなので、パズルを解くような感覚で理解させるのが一番なのかなと思います。
― 板書案は、あらかじめ用意していますか?
いつもテキストの横に、大まかに書いています。それによって、自分が何を教えたいのか頭の中が大体まとまり、話す内容も自然に出てくるようになりますので。いわゆる「授業案」の代わりです。そういう意味では、板書案というのは生徒のためだけでなく、自分の授業を膨らませるためにも重要な役割を果たしていますね。
― 黒板に書くこと、書かないことをどう区別していますか? 授業で初めて出てきたルールは必ず書きますが、以前説明したものについてはあえて書かず、ここは前にやったよね、と言ってノートを振り返らせます。それを繰り返すことで、何度も出てくる重要表現や、前回学んだこととの関連などを生徒たちに認識させるという学習効果を狙っています。英語のルールというのは、1回聞いてもわからないことが多いですからね。何回も使っていく中で、その内容が生徒たちに伝わっていくものです。そのためにも、とにかくノートはしっかり取るように指示しています。年間を通して、1冊の参考書を作っていくように、ノートを取っていってほしいと思います。
― 見やすいノートにするために、板書も工夫しなければいけませんね。 現代の子どもたちは映像文化で育っているため、やはり視覚に訴える方が理解しやすいのかなという気がしますね。だから、僕も昔よりは板書の量は増えました。最近はそういう先生たちが多いと思うので、今の生徒たちは「きれいな板書」を見ることに慣れてきていると思います。ただそうすると、彼らは「きれいなノート」を書くことだけに集中して、中身を考えなくなってしまうので注意が必要ですね。特に内容が複雑で細かいことになると、ただ書いておけばいいやと思い込んで、説明を聞いていないことが多い。板書の見せ方の技術が上がれば、わかりやすくは表現できるかもしれないけれど、生徒たちが自分の頭で考えなくなる。この辺りのバランスが難しいと思います。
― 現場の先生たちはどのように対策していったらよいでしょうか? 「きれいに書く」ことにこだわる傾向は、生徒だけでなく先生にもあるということかもしれません。板書の見やすさだけにとらわれて、授業の中身が薄っぺらになってしまうことに、僕は危機感を感じています。授業のエッセンスを板書して、それ以上のことを口頭で説明しなければいけないのに、経験の浅い先生の授業では、事細かに板書し、そこに書かれた内容を読むだけで終わってしまっている光景も見られます。見やすい、わかりやすいということで生徒の印象はいいかもしれませんが、もっと他に話すことがあるのではと感じてしまうことがあります。やはり、様々な世代が自由に意見交換して、お互いに勉強する姿勢が大事ではないでしょうか。僕も、若手の先生からはこういう書き方もあるんだと学んでいますし。視覚的に見せるセンスは若者の方がありますからね。時代のニーズに合わせて、いろいろ工夫していかなければいけないと思います。
― 英語を教える側として英語の勉強を続けるうえで、意識してほしいポイントは何でしょうか? 勉強するときに、参考書とか辞書を鵜呑みにしないこと。僕は参考書に書いてあることが、実際に使われている英文に本当に当てはまるかどうか日々検証しているんですが、その結果いろいろな矛盾点を発見することがあります。結局、参考書は板書と同じで簡略化されて記載されていますから、それに当てはまらないケースも多々出てくるわけです。そのときに、どう考えたらよいのかということを常に意識して勉強することが、教える側にとって重要だと思います。そのセンスや柔軟性を養うためには、教材という狭い枠にとらわれず、新聞や文学など、日頃からできるだけ様々なジャンルの英文に目を通しておくことが大事。自分の教えている英語が本当に正しいのかどうか冷静な目でチェックしてみると、きっと新しい気づきがあると思いますよ。
聞き手:坂口