英語講師 吉村 和明
― 先生は、2018年からICTを使われていますが、何かきっかけがあったのでしょうか?
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もともと僕は、英文読解の授業で本文を板書することが好きではありませんでした。テキストに書かれている文をわざわざ解説のためだけに書き直すのは、自分にとっても生徒にとっても、時間の無駄だと感じていました。文章構造を図式化するなど、板書ならではの解説テクニックもありますが、生徒にはテキストの英文だけを読んで、英語を理解できるようになってほしいと考えていたのです。
こうした考えから、僕の授業は口頭での説明が中心でした。ですが、サテライン授業も担当しているため、何も書かれていない黒板の前で、ただ話し続けているだけというのは、見栄えが良くないという問題がありました。
また、口頭解説中心の指導にも欠点があります。例えば「thatから文末までが大括弧」と指示をしてもthatが複数ある文を読んでいる時は、一度で生徒に意図が伝わらないこともあるのです。
長年こうした悩みを抱えていたのですが、数年前に偶然、古文の梅澤先生が、スクリーンに古文の本文を映して授業を行っていることを知りました。すぐに相談したところ、英語に関してもスクリーンを活用するメリットは大きいとアドバイスをもらい、ICTを活用する決心が固まりました。
実際に、本文や解説の一部をスライドにしてスクリーンに映してしまうことで、上記の悩みは解決しました。また、板書の時間が少なくなったので、生徒の表情を確認する余裕が生じた点も良かったと感じています。
― はじめてICTを使った時の授業について教えてください。
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札幌校で初めてスライドを使いました。その日は、教卓を挟んでスクリーンが2つ設置された横長の教室で授業をしていて、僕は教卓に立っていたのですが、授業時間中、生徒の視線は左右のスクリーンばかりに集まっていました。
黒板を使う普段の授業であれば、生徒の視線は僕と黒板を行き来するのですが、その日は生徒とほとんど視線が合わず、求心力を失ってしまったような感覚に陥りました。生徒が真面目にスクリーンを見ているのは分かるのですが、僕自身が非常にやりづらい授業になってしまったことを覚えています。
この体験を梅澤先生に相談したところ、梅澤先生も同じ経験があるとのことで、「なるべくスクリーンの前に立つようにすると良い」とアドバイスをもらいました。
―はじめてのICT授業では課題も残ってしまったのですね。何か改善に向けて工夫されたのでしょうか?
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やはり、僕自身に生徒の集中を引きつけることが重要だと感じましたので、いくつか工夫しました。まず、コードで端末とスクリーンをつないでいたので、自由に動けるようになるべく長いコードを準備しました。また、複数のスクリーンがあるのであれば、意図的に各スクリーンを行き来して動きを見せるようにもしています。
そして、要所要所で板書を行うことで授業に変化をつけることも心掛けています。板書内容については、授業前に決めておくというよりも、授業中に変化をつけたいと思ったときに、何か板書できることはないかと考えます。
― ICTを導入する前後で授業スタイルに変化はあったのでしょうか?
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僕のICTの使い方は、従来口頭で説明していた内容をスライドにして示すというものなので、基本的な姿勢は変わっていないと思います。
タブレットを使うことは、目的ではなく、あくまでも手段であって、口頭解説の補完の役割と認識しているので、使わない方が良いと思う場面では、使わないようにしています。「従来の授業の良さを壊さずに利便性を追加していく」というのが、僕の考えのベースです。
2018年から4年間ICTを使っていますが、自分に対しては「実験的に使っている」と言い聞かせています。仮にICTを使わない方が良いという結論に達することがあれば、これまで注いできた手間は惜しいですが、ICTの利用を辞める覚悟はできています。
― 授業のどのような場面でICTを使われるのでしょうか?
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長文については、原則スライドを作成しています。スクリーンとスライドを使うメリットは、授業にその場で変化を加えることが出来る点です。
上図は実際に授業で使った教材の例です。本文を数十枚のスライドにし、授業準備の段階である程度の書き込みをしておき、授業で解説する際に更に書き込みを加えていきます。左が準備段階のスライドで、右が授業中に書き込みをした後のものです。授業前にある程度文法事項などを書き込んでおくことで、授業中は重要な部分の解説や書き込みに専念することができます。
例えばBeing a dolphinとbeing part of a complex social networkはそれぞれ1つの名詞の塊ですから[ ]で囲んでいます。A dolphin alone と being part of a complex social networkの対比については、青とピンクの下線で示しています。
口頭での説明とスライドの書き込みを受け、生徒は思考プロセスをしっかり確認しながらテキストにリアルタイムで書き込みをしていきます。
「事前にどこまで書き込んでおくか」は、時期や生徒レベルによって変わってくるもので、授業前にかなり具体的に授業をイメージしながら決めていきます。このあたりはまだ試行錯誤中ですが、最も面白い部分でもあります。
自分の経験では、十分な文字の大きさにしておくこともそうですが、行間を少しゆったり取ることも重要です。下図はスライドを使い始めた時期のものです。 今では余白を更に多くとって、圧迫感を無くしています。テキストと改行箇所が異なることに関しては、生徒たちはあまり気にせず順応してくれているようです。
―読解の本文以外にもスライドを用いることはありますか?
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和訳問題や内容説明問題については事前に解答を入力しておくことで効率化を図っています。
また、文法では並べ替えの問題は、スライドに問題そのものを映してしまえば、書き込みながら解く過程を示すことができます。
板書の色使いや記号のルールなどについては、学期や講習会の第1講など、初めて受講する生徒がいるときには必ず紹介するようにしています。
―先生は手書きでスライドに追記されています。何か理由があるのでしょうか。
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僕は、ICT授業を行う上で、「生徒に単調で冷たい印象を与えない」ということを目指しています。スライドに打ち込まれた文字はどうしても、先生が手で書いた文字と比べると機械的な印象を与えます。代ゼミには非常に板書の上手な先生方がいて、そうした板書を見ているとわくわくしてきます。やはり手書きの魅力というものはあると思うので、僕の授業でもスライドへの情報の追加は手書きで行うようにしています。また、僕は、授業直前や授業中にアイディアを思いつくこともあるので、すぐに書き込める手書きスタイルが自分に合うと感じています。
そして、「授業中に先生が生徒の前で手間をかけることそのもの」に意義があるのではないかと思います。僕には技術的に無理ですが、代ゼミには授業中にタイピングで颯爽とスライドに情報を追加していく先生もいます。
やはり、どれだけ熱心に作りこまれたスライドでも、淡々とスライドが流れていく授業では、生徒はどこか先生との間に距離を感じてしまうのではないでしょうか。手書きにしてもタイピングにしても、「その場で先生たちが自分たちのために何かをしてくれる」という経験が、10代の生徒たちにはうれしく感じられるのだと思います。社会人向けの説明であれば、淀みなく進むことが好ましいとされることもありますが、生徒の学習を助けるという意味では、必ずしも効率的に綺麗に見せることが最適とは限りません。
―最後に全国の先生方へアドバイスをお願いいたします。
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コロナ禍当初の一斉休校においては、ICTを使えば学校に来られない生徒たちに、授業を届けることができました。授業を受けられないよりは、たとえ不慣れなスタイルの授業であっても受けられた方が良かったのだと思います。この体験が先生方に与えた影響が極めて大きかったことは想像に難くありません。
ですが、現在は社会もコロナ禍の影響に対応しつつあり、生徒も学校に来て教室で授業を受けることができます。こうした状況でのICTの利用については、休校中の体験から距離を置いて検討する必要があります。ICTを使って何とか授業をやり遂げた休校中の取り組みをベースにするのではなく、コロナ禍以前に培った、集団指導の手法をベースに考える必要があります。ICTを使うべきかを見極めた上で、ICTを使うのであれば、使いこなしてより良い授業を目指すべきです。
級友とともに同じ場所で、同じものを見て学ぶ体験は、生徒たちにとって不可欠なものですが、ICTの不適切な利用は、そうした教室での学びを損なってしまう可能性があります。ICTに振り回されるのではなく、ICTを武器として使いこなしていきましょう。
聞き手:福田
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