国語講師 漆原 慎太郎
本日は、代ゼミの人気カリスマ国語講師である漆原 慎太郎先生に令和4年11月に公開された令和7年度共通テスト国語の試作問題に関するインタビューをさせていただきます。
― まずは、問題と合わせて公開された配点についてお伺いできればと思います。古文と漢文の配点が現在の計100点(200点満点中)から計90点に下がる予定です。これは古典を軽視しているということでしょうか。
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わずかに10点分の低下ですから古典を軽視しているわけではないと考えます。共通テスト国語は新課程では「現代の国語」と「言語文化」の2冊の教科書から出題されることになりますが、配点の比率では「言語文化」が非常に重視されています。現在の共通テストで出題されている評論文・小説・古文・漢文の内、「現代の国語」からの出題は評論文の50点分だけです。単位数から考えると「現代の国語」が非常に軽く扱われていると言っても良いでしょう。
令和7年度の共通テストでは、評論文(45点)と実用的な文章(20点)をあわせた65点が「現代の国語」から出題される予定ですので、「言語文化」への偏重がわずかに解消されるのです。この変化は古典の軽視ではなく、「現代の国語」を重視していく姿勢を表す動きと解釈すべきでしょう。
― 今後は「現代の国語」の重要性が増していくのですね。それでは、試作問題について、全体的な印象からお伺いできますでしょうか。
- 非常によくできている試験だと思います。先生方の中には、一瞥して「こんなものは国語ではない、こうした内容まで国語で扱う必要があるのか」といった印象をもたれた先生も一定数おられるかもしれませんが、しっかりと見ていくとよく考えて丁寧に作られた問題であることが分かります。「私たち指導者が簡単だ、当たり前だと思ったことでも実は生徒達は意外とできていない」、そうしたポイントを的確に突いてくる試験です。
共通テストの平均点は5割~6割が目安とされています。全ての問題を正答率5割程度の問題で占めると全て解ける生徒と全く解けない生徒に分かれ、理論的には試験の結果が二極化してしまいます。平均点が5割の試験を作成するためには、正答率が2割~9割の問題を幅広く配置する必要があるのですが、第A問と第B問のどちらも簡単な問題から難しい問題の順にしっかりと計画的に並べられており、生徒の学力のレベルに応じてどこまで正答できるかに差がつくため、生徒の能力を適切に判断できます。
― 試験として非常に良質だったということですが、時間や分量については、どういった印象をもたれましたか。
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試作問題の配点は200点中の20点であり、配点に占める割合は10%です。令和7年度共通テスト国語の試験時間90分の10%は9分で、これはほぼ、延長される試験時間の10分に相当しますから、他の大問の分量は調整されず、試作問題相当の分量が単純に追加される可能性は十分に考えられます。
過去2回の共通テストでも国語は時間的に厳しい教科でしたので、他の大問の分量を調整せずに実用的文章の問題を追加した場合は、多くの受験生にとっては、試験が時間との戦いになってしまいかなり厳しいのではないでしょうか。
そのように考えると「知識や処理力を重視していたセンター試験に対して思考力や表現力を重視する」という共通テストの方針において、国語の試験がどれ程寄与できるかは疑問が残ります。
― 思考力よりも処理力を重視する問題であったということでしょうか。
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試作問題は実用的な文章を題材にしています。実用的な文章では、思考力を要求する論理的な文章や文学的な文章とは異なった能力が求められているため、わざわざ大問が新設されたと考えるべきです。
本来、実用的な文章は深い思考力とは相容れないものです。実用性というものは、社会に広く普及し多くの人に共有されることで獲得されます。例えばスマートフォンの説明書をイメージしてみてください。読み解くために思考力を要求されるようでは説明書としては不適格と言わざるを得ません。
そう考えると、グラフや図表を含んだ実用的な文章は思考力ではなく処理力を要求する設問と相性が良いのではないかと思います。「この試作問題を10分程度で読み解いて処理できる能力を受験生に身につけてほしい」と大学入試センターが考えているのであれば、僕はその点には賛成ですし、試作問題の設定も妥当であると考えます。
― 令和7年度以降の共通テスト国語では、処理力も非常に重要なのですね。生徒達に処理力を身につけさせるには、どのような指導を行うことが大切でしょうか。
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授業中に生徒自身が手を動かすことが大切です。教師が話をして生徒がそれを聞いてメモを取るといった授業スタイルでは、生徒が処理力を身につけることは難しいです。僕の授業では、少し短めに時間を区切った漢字・文法のテストや短時間で類題を解かせる授業内演習を必ず行うようにしています。
リモートやオンラインの映像授業ではどうしても教師が一方的に喋りがちですが、それでは生徒達が処理力を身につけられません。思考力も同じです。僕自身、映像授業には限界を感じることもありますが、なるべくテキストの編集に携わり、テキストの中にテストや演習を組み込むことで少しでも良い授業にしようと工夫しています。
― それぞれの問題についてより細かくお伺いできればと思います。まずは、第A問の問1からお願いいたします。
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第A問の問1(ⅰ)は、文章とそれを図式化したものの単純な照合作業です。言い換えすら行われていません。この問題は中学生や小学生でも解くことができると思いますが、照合作業は思考力を発揮するための土台として重要ですし、まずは最低限のことができるかを確認するためにも必要な問題です。もしこの問題に正答できない場合は、教科書の内容を先生が図にまとめた際に図と教科書の対応関係が把握できないということですから、学校での学びに支障をきたしている可能性があります。
成績下位の生徒の中にはこの問題に対応できない生徒もいます。これは能力ではなく学びに対する意欲・関心の問題です。自分の意志で試験問題に取り組んだ体験や成功体験が欠如しているため「どうせ分からない」と決めつけ、難しく考え込んで答えに辿り着けません。成績下位の生徒は学ぶことを諦めてしまっています。
― 成績下位の生徒達は、なぜ国語が苦手なのでしょうか。
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実際には学校だけでなく予備校でもよく見られるケースですが、その教科が苦手な生徒に対して、いつ苦手になったかをよく考えずに指導を行ってしまいます。苦手教科をもっている生徒が、全員都合よく「中学までに学んだ土台は整っていて高校から躓いた」とは限りません。
今は小学校・中学校の学びも階段状になっていますから、一度躓いてしまうとリカバリーするのは至難の業です。そして、集団授業では、40人学級であれば下から10番目程度のレベルに合わせて指導を行うことが通例ですから、どうしても一定数の児童・生徒が脱落してしまいます。そのように小学校・中学校の段階で国語を苦手と感じてしまった生徒達にとっては、高校の教科書は難しすぎるのです。
― 生徒達の苦手意識は高校の指導だけの問題ではないのですね。苦手教科をもつ生徒達に対してどのように接していくべきでしょうか。
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苦手教科以外の教科で様々な経験をしており、学問に親しんでいる生徒であれば、1つの苦手教科について立て直すことはできると思いますが、成績下位の生徒は多くの場合、勉強以外の運動なども含めて全ての教科に苦手意識をもっています。昔は「計算は苦手だけど読書は好き」、「勉強は苦手だが運動は得意」といったように生徒の能力は凸凹だったのですが、最近はすべてできる子とすべてできない子に分かれているように感じます。指導現場でしてあげられることは、「何か生徒ができることを見つけてあげる、生徒ができることから始めてあげる」ということに尽きると思います。
こうした背景のひとつには、上の生徒に上の学習をさせて、下の生徒に下の学習をさせているという状況が存在します。主体性などは全ての生徒が身につけるべき素養のはずですが、それを身につけるために最も適切な国語の記述問題に取り組むのは成績上位の生徒ばかりです。こうした状況は他の教科でも同じではないかと想像しています。成績下位の生徒達は自由英作文や証明問題、論述問題に取り組むことを求められず単語・年号の暗記や基礎的な計算練習に終始しているのではないでしょうか。
この点は大学側の責任もあると思います。受験生や高校からの評価やそもそもの入試問題作成能力、大規模な選抜における採点のコスト等がネックになっているのだと思いますが、教育は社会全体の問題です。多くの国民にとって大きな目標となりうる大学が受験生に対して主体性を要求できていないというのは、社会全体を見ると悪い流れであると考えます。たった1問でも記述式問題を課すことで「受験生に対して主体性を求めている」というメッセージを示すことができるのです。まず、大学側が変わる姿勢を見せなければいけません。
― では、改めて試作問題についてお伺いできればと思います。続く第A問の問1(ⅱ)についてはどうでしょうか。
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図の内容や表現の説明に関する問いですが、それぞれの要素は独立しているのか或いは関係性があるのかといった因果関係や並列関係が主題となっています。p.2の図中には、「気温上昇」と「降水量・降水パターンの変化」がありますが、これらは相互に独立しています。一方で「気温上昇」と「熱ストレスの増加」は矢印でつながっており因果関係があります。この問いではこうした関係性を区別することが求められており、対応するためには、因果関係や並列関係を表す時にはそれぞれどういった接続詞や接続助詞を使うべきか判断する能力、言い換えると記号的な言葉を適切に運用できる能力が求められます。
図の内容を言語化するというのはある程度高度な処理です。成績下位の生徒の中には、「筆者の主張を因果関係に基づき図式化したので、これを参考に筆者の主張を文章でまとめましょう」などの指示を出すと手が止まってしまう生徒もいます。成績上位・中位の生徒はこの問題に正答できた一方で成績下位の生徒達には難しかったのではないかと思います。
この問いに対応できない生徒が多数在籍するクラスの場合は、我々指導者も教え方をガラリと変える必要があります。「“また”は並列の表現」、「“だから”は因果の表現」、「因果関係とはそもそも何か」といったある程度学習が進んでいる生徒が無意識に使いこなしている内容を生徒達に改めて意識してもらうことから始める必要があるでしょう。
― 第A問の問1では非常に重要な能力がそれぞれの小問で評価されたのですね。次の問2についてはどういった特徴があったのでしょうか。
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問2で特に注目すべきは選択肢に「判断できない」が含まれているところです。作問された方は非常に優秀かつ現状の国語教育や入試に不満をもたれている方ではないかと想像しました。
実際の大学入試では、「正しいものには1を、間違っているものには2を記せ」といった形式の問題がよく出題されますが、往々にして表現が適切でなくどちらにも解釈できる選択肢が紛れ込んでいます。我々は「片方は正しいが、もう片方も間違っているとは言えない」という場面では、何かしら理由をひねり出して片方を正解として生徒に伝えることもあったと思いますが、試作問題において「資料からは判断できない」という選択肢が与えられました。従来、教育と入試では「判断できないと判断すること」を行ってきませんでしたから、「判断できないと断言してよい」と公的機関が示したことには大きな意義があると思います。
問2の正解にも「判断できない」が含まれていましたが、この内容については問題中に根拠となる記述が全く存在しませんでした。「台⾵の発⽣数が平年値よりも多い年は⽇本で真夏⽇・猛暑⽇となる⽇が多い」というのは多くの方が実感としては納得できる内容だと思いますが、資料の中には該当するデータが含まれていないため正しいとは判断できません。この問題に対しては主観的な思い込みを排除して取り組む必要があります。
この問題は成績中位以上の生徒であれば対応できたと思いますが、小説に感情移入して偶然正解する等「なんとなく」で国語が得意な生徒は正解できない可能性があります。特に女子生徒には注意が必要なケースがあると考えます。
小学校や中学校の国語では小説などの文学的文章を中心に扱います。中学校では説明文も扱いますが、日常的な具体例を豊富に含んでおり理解は容易です。10代前半の年代においては男子と比べると女子の方が、共感力が高い傾向にあります。この共感力が小学校・中学校の国語を学ぶ上では強力な武器となるのですが、高校の国語では評論文や論説文を中心に扱うようになるため共感力頼りでは成績を維持できなくなります。このタイプの生徒の多くは、自分の主観と文章の理屈や方向性が合えば正解を導き出せるのですが、本問で要求されたように主観を排し、選択肢を吟味した上で冷静な判断を行うことは得意ではありません。「私はこう思ったのですが…」とよく口にする生徒には特に注意が必要です。こうした生徒には、中学校までと高校では国語の勉強方法を変えていく必要があるということを伝えるべきでしょう。
性差について口に出しづらい風潮はありますが、生徒間には当然個性差がありますし、そこには性別も含まれますので、性差を完全に無視した教育を行うことは危険です。「男子はこう、女子はこう」と決めつけるのではありません。それぞれの性別の傾向について把握しある程度類型化して、起こりうるトラブルの可能性に備えることが必要だ、ということです。逆に性差を含めて多くのことをタブー視し波風を立てないことを優先するのは、教育者としてあるべき姿ではないと考えます。
― 生徒の個性に対して真摯に向き合い柔軟に対応することが重要なのですね。第A問最後の問題となる問3はどのような問題だったのでしょうか。
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レポート作成を想定した問題で、こちらも良問でした。まずは、p.4に掲載されている資料Ⅱを見てください。形式段落が存在せず一段落構成になっています。問3(ⅰ)はこの資料Ⅱを自分の力で段落分けすることが求められています。
こうした設定の問題は定期テストでも使いやすいと思います。段落をあえてつけずに文章を示して、どのように段落分けをするのが適切か生徒に考えさせるのです。段落分けについては実際の教室では、それぞれの生徒が自分の考えを出すので意見がまとまらないこともありますが、この資料Ⅱは非常に良く作られていて誰が見ても同じように段落を分けることができます。
具体例と抽象を意識し“例えば”や“また”といった言葉に注目して段落を分けていきます。まず、5行目に“例えば”とありここから8行目の「…公開したりしている」まで具体例が続きます。その後、「これも暑熱に対する適応策である」と一度まとめが入り、そこから“また”という並列表現を皮切りに別の話題が展開していきますので、ここで話の内容を区切ることができると分かります。このように記号操作的※に考えていくことで資料Ⅱを段落分けすることができます。
設問としては、p.7に掲載されている目次の第3章に焦点が当てられています。この目次は、資料Ⅱについて段落ごとに話題を整理したものになっていて、段落を分けるだけでは正しい選択肢を選ぶことはできません。問われているのは目次の中の小見出しに相当する内容ですから、選ぶべきは具体ではなく抽象です。“例えば”という言葉は、「抽象⇒例えば⇒具体」の配置で使われますから、“例えば”の前の文章に注目することで適切な選択肢を選ぶことができます。
このように問3(ⅰ)は実用的な文章の中で記号操作的な思考を試す良問だったのですが、問3(ⅱ)については惜しいと感じました。レポートの内容や構成に対する助言をもらったという設定で、助言の内容に誤りがある選択肢を選ばせる設問でした。正解は②で⼤気汚染物質と感染症の発⽣リスクには因果関係がないことがp.2の図から確認できます。図を確認するだけで正解を選ぶことができるのであれば、問1(ⅱ)とあまり違いがありません。この設問のもう一つのテーマであるレポートの構成については触れることなく終わってしまいます。例えば、「第1章、第2章、第3章と分けると情報が分断され見にくいので章立てはしない方が良いのではないか(誤答例)」といったようにレポートの構成の部分に関する誤りを選択肢中に配置すればより良い問題になっただろうと悔やまれます。文章の構成に関する問題としては、後でお話しする第B問の方が優れていると感じました。
※記号操作:“また”は並列を示す、“例えば”の後には具体例が続くといったように文字を抽象や具体、並列などの関係性を示す記号として認識する方法。
― 引き続き、第B問についてお伺いできればと思います。
- 第B問についての大きな印象は設問条件が重要ということです。問1には、「レポートの空欄にはレポートの展開を踏まえた資料Ⅰの説明が⼊る」とあり、この空欄を適切に埋めることを求められます。この問いで重要なのは、全ての選択肢にグラフを正しく読み解いた内容が書かれており、資料Ⅰの説明としては正しいということです。ここで重要になってくるのが、「レポートの展開を踏まえた」という条件になり、空欄の前後と適切につながるものを探すと選択肢を一つに絞ることができます。問題としては簡単で成績下位の生徒でも対応できたかと思います。
― 第B問も第A問と同じく簡単な問いから始まったのですね。続く問2はどうだったのでしょうか。
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この問題を正答するためには設問をしっかり読むことが大切です。本問については、特に間違った形で熱心に受験対策を行っている生徒を中心に成績上位の生徒でも不正解の選択肢を選ぶ可能性があります。
本問の正解は③ですが、①と④の選択肢についても間違った内容ではありません。①は資料Ⅲの内容を、④は資料Ⅱの内容をそれぞれ正しく表現しています。しかし、設問には「資料Ⅱ及び資料Ⅲの要約」と条件がつけられていますから、これらの選択肢は不適当なのです。
私立大学を中心とした従来の入試問題の演習を熱心に行っている生徒の中には消去法で正解を導くことに慣れている生徒もいますが、本問では、選択肢①、④についても間違っているわけではないため消去法で消すことができません。実は、こうした傾向の問題はセンター試験時代にも出題例があります。センター試験は国公立大学の教授達が作問していて彼らが受験生に求めるのは記述の力です。要約にしても本当は受験生に書かせたいと考えているはずですが、マークシートで評価をするためにこうした問題が出題されています。要約を書く実力のある生徒は、自分で空欄の内容を考えてそれに近い選択肢を選ぶことができたでしょう。受験生の学習姿勢を正してほしいというメッセージを内包した非常に良い問題でした。
― アウトプットを行う力やそれを志す姿勢も重視されているのですね。続く問3はどうでしょうか。
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問3では抽象から具体を分析する演繹的な思考が求められます。本問も空欄の後ろとのつながりに注目することが重要です。空欄の先には、「役割語の性質を理解したうえで、フィクションとして楽しんだり、時と場所によって⽤いるかどうかを判断したりする」と抽象的な内容が書かれていますから、これに対応する適切な具体例を選択肢から選ぶ必要があります。
正解は③ですが、①を選んでしまう生徒もいると思われます。「親しい人には砕けた言葉遣いで話すが、他人の目を意識する場面では敬語を用いる」という例は、レポート中の「時と場所によって用いるかどうかを判断したりする」という部分に照らすと適切な選択肢なのですが、「言葉遣いや敬語」と役割語がなかなか結びつかないのです。
生徒がこういった問題に対応できるようになるためには、普段の定期テストでの経験が重要になります。自由記述として具体例を書かせてみるのはいかがでしょうか。採点が大変ではありますが、面白く意義のある試みだと思います。令和5年3月に担当するワンデイセミナーでは、「先生方の採点が楽になることと楽しくなることとを両立し、生徒も楽しめて実力をつけることができる定期テストの作問方法」について熱くお話しする予定です。特にテストの作成に悩んでいる若い先生方に聞いてほしいと考えています。
― 試作問題最後の問題である第B問の問4はどのような問題だったのでしょうか。
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問4は、「レポートの主張をより理解してもらうためには論拠が不十分であることに気づいた」という場面設定です。本問も設問条件を意識して「そもそもレポートの主張とは何か」から考えていく必要があります。レポートの主張は、正に先ほど問3を考える際に注目したレポートの終盤にまとめられていますから、問3からこの問4への流れは非常に美しいと思います。問3が問4の誘導として機能しており、共通テストの問題作成部会が目標としている受験生の思考の流れに沿った設問の配置が見事に実現されています。
主張を理解してもうためにどのような論拠を補足すれば良いかについては、二つのアプローチが考えられます。一つ目はより一層の理論づけをすること、二つ目は事実を裏付けとして付け加えることであり、これらはどちらも小論文の書き方で用いられる方法です。本問の選択肢を見ると②が事実を補強し、④が理論を補強していました。
本問を見終えて改めて第B問全体を振り返ると、国語の文章を書く際の文章構成の本質に段階的に迫る流れで設問が展開されていると感じました。この第B問については、是非とも実際に生徒達に解かせてみていただきたいと思います。
― 全ての問題を詳細に解説していただきありがとうございました。試作問題のような問題に対応するには、生徒達にどのような学習をさせるべきでしょうか。
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成績の上下を問わずに「生徒自身が考える」学習を行わせることが重要です。試作問題に見られた資料やレポートが題材となる問題に対応するには、長く時間をかけても良いので、生徒自身に論文や資料をまとめる経験を与えることが重要になります。簡単なテーマについてでも良いので一年を通じてそうした探究的な学習を行ってみてはいかがでしょうか。生徒自身が表現をして著作物を創り上げるという経験が重要になります。
また、生徒達に記述問題を課すことも効果的です。僕自身そうしていますが、古文・漢文では直訳が通用しない、現代文でも抜き書きだけでは対応できない良質な問題を探すか作るかすれば、生徒自身に主体的に相手に伝えようという意思がなければ絶対に答えを書くことができません。自ずと生徒の主体性が高まっていくと期待されます。
恐らく成績下位の生徒の国語学習は漢字や単語などを覚えることにウェイトが置かれています。そうした生徒の多くが私立大学を志望していて、その多くは記述式問題に触れる機会がありません。志望大学の入試はマークシートで行われるため、記述の練習を行う必要がないのです。僕はこの状況が問題だと思っています。どれだけ簡単であっても自分の頭で考えて自分の言葉で表現することを繰り返していくことが成績中位以下の生徒にこそ大切です。
― 生徒自身が主体的に活動する学びが重要なのですね。試作問題を踏まえて今後の共通テストはどのように変わっていくのでしょうか。
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試作問題の表紙には、「本試作問題は専門家により作成されたものですが、過去の大学入試センター試験や大学入学共通テストと同様の問題作成や点検のプロセスを経たものではありません。」とありますから、試作問題が直ちに共通テスト国語の出題傾向に影響を与えるとは考えにくいです。ただし、見てきた通り試作問題は非常に良質で高い評価を得ています。令和5年度の共通テストは既に作問を終えている時期ですが、令和6年度の共通テストでは、第A問の問2で登場した「判断できない」が選択肢に追加されるなどの変化はあるかもしれません。また、第A問の問3で問われた段落分けの能力つまり記号操作的な思考力が、別の形で評価されるといった変化も考えられます。第B問の問2では複数の文章の内容についてそれぞれの文章に言及している選択肢を見つけることが求められました。そうした問題が出題されても不思議ではないでしょう。
試作問題では実用的な文章を題材に様々なテキストや図表が含まれた問題が出題されました。令和4年度時点の共通テストでは、第1問の評論文や第2問の小説でそうした傾向の問題が出題されていますが、令和7年度以降は、複数テキストや図表などの要素は新しい第3問である実用的な文章の大問中に集約され、評論文や小説についてはセンター試験時代に見られた一つの文章をしっかりと読み進めていく形式に回帰する可能性は考えられます。
― 急激な変化は起こりづらいものの緩やかに変化してくのですね。変化の続く共通テストに向けて生徒達にはどのような指導をするべきでしょうか。
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センター試験の過去問は良問ぞろいですから、生徒には過去問を中心に学習をさせることが効果的だと思います。ただし、単純に形式に慣れさせることを目指すのではなく、生徒に実力をつけさせることを重視してください。解いて正解を確認しておしまいではなく、時には出題意図を考えて問題を掘り下げたり、本文に関する具体例を生徒自身に考えさせてみたりするなど、繰り返しになりますが、形式や傾向にとらわれない学習を目指していただければと思います。
国語は非受験学年での学びが重要になります。高1や高2の段階でどの程度、具体例を考えること、自由記述に取り組むこと、自分の言葉で論理を整理することを経験しているかが、受験学年での成績を大きく左右します。高1や高2の定期テストの質がそのまま共通テストの点数に直結すると考えてください。
共通テスト国語は闇雲に演習を繰り返すことで成績が上昇する試験ではありません。解き方や試験の分析などの受験技術と指導については、我々、予備校講師が専門家です。学校の先生方が全てを背負うのではなく、予備校が共存・協働することも可能であると考えます。受験指導そのものは予備校で対応が可能ですから、学校の先生方は演習などの受験指導ではなく、生徒をより多くの文章に触れさせ、生徒により多くの表現を経験させるといった豊かな言語体験を生徒に与えることに力を入れていただければと思います。
我々は入試問題的中の予想屋ではありません。簡単に頭を使わずに解ける方法や国語が苦手でも正答できる技術は存在しませんし、仮に存在していたとしても生徒に教えるつもりはありません。これが令和のカリスマ予備校講師としての僕の矜持ですし、他の代ゼミ講師も同じスタンスだと思います。令和は、雑談や奇抜なパフォーマンスに頼らず生徒の実力を適切に高められる講師が正しく評価される時代です。安心して予備校を頼っていただければと思います。
― 本日は、試作問題及び共通テストについて素晴らしい知見を披瀝していだきありがとうございました。最後に全国の先生方へ何かメッセージをいただけますでしょうか。
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中高の内申書の評価観点に「意欲・関心・態度※」という項目がありますが、 生徒の「意欲・関心・態度」を我々指導者が評価できるというのは思い上がりだと感じています。
「試験の点数は低いが、意欲はあるので高い評価を与える」といったように、点数の低い生徒を「意欲・関心・態度」の観点で評価することで助けられるというのが、内申点の強みだとされていますが、苦手であっても意欲や関心があり、それが態度に表れるレベルで真摯に取り組むのであれば、ある程度の向上は見込めるはずです。「意欲・関心・態度」で高い評価を得られるのに結果が伴わないというのはかなり不気味ではないでしょうか。中学生や高校生はある程度、大人ではありますから、「意欲・関心・態度」があるように見せかけることもできます。生徒達が示す「意欲・関心・態度」が表面的なものでしかなく、それに先生方が欺かれている可能性も考えるべきでしょう。
そもそも我々指導者が考えるべきは生徒に頑張らせることなく結果を出すことです。理想は「意欲・関心・態度」が高まっていない生徒でも結果を出せるようにしてあげることです。結果が出れば、生徒の「意欲・関心・態度」は自然と高まっていく、というサイクルも考えられるわけです。
逆に、結果が見えない段階で生徒に「意欲・関心・態度」の充実を求めるということは、生徒に正しい方向に進めるかが定かでもない努力を求めるということです。それでは、生徒達がかわいそうだと思いませんか。まずは、我々教育者がしっかりと教育の力でもって生徒達を短い時間で結果に導くことが重要です。
この「短い時間で結果を出す」ということが非常に重要なのです。昨今はタイムパフォーマンス(所謂タイパ)が非常に重視されています。もちろん時間の制約を受けずにじっくり腰を据えて一つのことに取り組むことは大切ですが、今の生徒たちはあまりにも多くのことを要求されているのです。先生方の授業はタイパの良い授業でしょうか?タイパが悪い授業は生徒にとっては苦痛なものです。先生ご自身が生徒だった時にそうした授業に不満を感じたことはありませんか。
少し強い言葉を使いますが、自分の授業を磨く努力を怠り、生徒にばかり「意欲・関心・態度」を求める教員は「悪」であると考えます。そうした教員の授業が少しでも変われば良いと思い僕は予備校講師をしています。生徒の意欲や関心を引き出したいと考えるのであれば、まずは先生自身の授業を磨くことが重要です。棘があったかもしれませんが、子供の頃の気持ちを思い出せば十分ご納得いただけることでしょう。僕の言葉が先生方の心を揺らし現実の変化につながることを願います。
※新指導要領においては、「観点:主体的に学習に取り組む態度」へと統一
聞き手:福田
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